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令和4年4月24日二十五回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。

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  令和4年4月24日(日曜日)二十五回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。 感染者がピークより減ったものの下げ止まり状態になっています。 これはワクチンの追加接種と感染の免疫獲得が抑制要因に「BA・2」など変異株の置き換わりが拡大要因に、両者が拮抗している状態だそうです。 しかし基本的な感染防止対策は変わらないそうです。 ワクチンの追加接種・人込みを避ける・マスク手洗いが我々の出来る基本の対策です。 令和2年4月24日に最初のコロナ終息の祈願法要を始めてもう3年目に入ります。 身代釜敷地蔵尊は昔より戦争や災害疫病など時に多くの方が祈りを捧げてきました。 そこでお地蔵様の御縁日である毎月24日に身代釜敷地蔵尊に新型コロナウイルス感染症の早期終息と感染により亡くなられた方々の追福菩提をお祈りすることにしました。 さらに多羅観音は人々を厄災から守って頂ける八難救済の仏様です。 令和2年7月24日より同じく織田信長公から賜ったと伝えるチベットの多羅観音(緑度母)にも御祈願法要を本堂で勤めました。 よく宗教は「癒し」と言われますが、やはり宗教は生きるための「力」、困難にぶつかったときに乗り越える「勇気」を与えるものだと思います。 このコロナ渦で仕事や生活などで困難に直面することがあると思います。 困難に挫折することなく乗り越える勇気を与えるのが宗教だと思います。 努力をしても乗り越えられない壁を仏の力を借りて乗り越えていく。他力、仏力を頼む、これが祈りだと思います。 新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要もこのような思いで勤めています。

令和4年4月8日「釜敷地蔵尊供養会」を住職のみで行いました。

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  令和4年4月8日(金曜日)「釜敷地蔵尊供養会」を住職のみで行いました。 コロナ流行に加え鎮守社門出八幡宮の工事で境内が散らかっている為、一般の方の参拝はご遠慮頂きました。 平成24年(2012)年に「釜敷地蔵尊供養会」を始めて今年で10年目になります。 第二次大戦前は釜敷地蔵尊の縁日に屋台が出て賑わったと聞いています。 その世話をして頂いたのは丹波橋商店街の皆さんだと思っていましたが、商店街の人に聞くと戦前は丹波橋駅の西側には店はほとんど無く商店会など組織できる状態では無かった。 戦後京阪丹波橋駅近くに店が出来だして商店会を造ろうかと成ったと話しておられました。 釜敷地蔵尊は檀家さんとは別に信者さんがあったと聞いています。 誰が縁日の世話をして頂いていたのか考えているときに、ある方が戦前なれば在郷軍人会が色んな地域の活動をしていたので軍人会が世話をしていたのではないかと話されました。 伏見には第16師団が京都市伏見区深草にありました。当寺にも将校さんが下宿しており毎朝馬が迎えに来たと母から聞いています。 また戦争が始まると兵隊さんが当寺に下宿するようになり戦地に行かれるときは信楽焼の蛙の内側に名前を書いていかれました。 「無事帰る」の願いからでしょうか、母は見つかると怒られると笑っていました。 当時は戦地に行くときは死ぬ覚悟で行けと教えられていたので「無事帰る」は御法度でした。 しかし戦地から無事帰られた方は釜敷地蔵尊にお礼参りに来られたと母から聞いています。 また戦時中は身代釜敷地蔵尊の御影が鉄砲の弾除けとしてサムハラの護符とともに求められました。 戦前のお寺は半公的機関で何らかの形で軍隊と関わりがあったようです。 在郷軍人会が釜敷地蔵尊のお祭の世話をして頂いていたかは分かりませんが、戦前の釜敷地蔵尊は其れなりに知られていたようです。 再度昔の賑わいを取り戻そうと「釜敷地蔵尊供養会」を始めました。