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地蔵堂の絵馬の話

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令和2年4月8日(水曜日) 釜敷地蔵尊供養会を勤めます。 10時30分より法要開始 当日は午前10時より午後3時まで 織田信長公より賜る宝物を公開します。 平成七年まで地蔵堂の前には御拝(拝む所)がありました。 しかし平成七年一月十七日の阪神淡路大震災で倒壊の恐れが有るため取り壊されました。 この御拝には大小二つの絵馬が掛けられていました。 昔の写真に御拝の軒先に絵馬が掛けられているのが分かります。 一つは「司馬温公の甕割り」の絵、落ちた子供を甕を割って助けた利発な子の話。 もう一つは「賽の河原」の絵、真中に地蔵、右下に鬼、右上に極楽、左下に墓、地蔵の足元に子供が描かれています。 共に亡き子の供養のために上げられたものと思います。 この絵馬には施主の名前が記されており、名前から明治の初期頃の絵馬と思われます。 この様に昔は釜敷地蔵尊が篤く信仰されていたことが分かります。 因みに奥に映っている本堂は安永九年に再建された本堂で老朽化の為、昭和五十三年に現本堂が鉄筋コンクリートで再建されました。

令和2年釜敷地蔵尊供養会を勤めます

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令和2年4月8日(水曜日)10時30分より 釜敷地蔵尊供養会を勤めます。 当日は午前10時より午後3時まで 織田信長公より賜る宝物を公開します。 釜敷地蔵尊を供養しお札を配る簡素な法要です。 宗派を問わずどなたでもお参り下さい。 4月8日は「花まつり」につき甘茶接待します。 当寺の釜敷地蔵尊は先々代住職によると第二次大戦前は縁日には境内や丹波橋通りにも提灯を渡して、屋台が出て賑やかであったと聞いています。 その世話をして頂いたのが、丹波橋通り商店街の店主だと思っていたのですが、地元商店の人に聞くと戦前の丹波橋通りには店がほとんど無く、戦後の復興期の時に店が増えて丹波橋繁栄会という商店会が出来たそうです。 住職の子供の頃昭和30年頃は当寺から東200m京阪丹波橋駅まで夜は街路灯が無くても、店の灯りで明るく華やかでした。 当寺から東へ南側にはミシン屋、魚屋、服屋、総菜屋、玩具屋、小間物屋、果物屋、荒物屋、風呂屋、北側にはメリヤス屋、靴屋、お菓子屋、家具屋、下駄屋、駄菓子屋、お茶屋、食堂、そして両替町通より東は店がさらに続き賑やかでした。 今は店が少なくなり住宅街になっています。当寺から西は今はスーパーがありますが昔は酒蔵と倉庫でひっそりしていました。 従って戦前は組織的な商店会は無く、釜敷地蔵様の世話は地元商店街の人達ではなかったみたいです。

令和2年ロウバイが咲きました

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令和2年1月10日(金曜日) 蝋梅(ロウバイ)が咲きました。 今年は花数が少ないです。裏作でしょうか。 当寺にはロウバイが約30株あります。まだ若木で160cmぐらいです。 これでも成長した方で50cmの苗木から植え付けしました。 満月、素心、唐、尾鈴、曙光 寿 くるめ名月 くるめ臘月など8種類ほどありますが、 ほとんど見た目では分かりません。 また名札を付けないし、植え替えをしているのでどれがどれか分かりません。 違いは花弁の幅や黄色の濃淡。花の中に紅が有るかどうか。そして花期です。 早いものは12月上旬から遅いものはこれから蕾が膨らんできます。 2月上旬まで咲いています。 例年、正月にはロウバイを仏様にお供えするのですが、 供給元の裏庭の大きなロウバイの木を強く剪定したので今年はありません。 直径13cmほどの幹を数本高く伸ばしていたのですが、枝が混んで高枝切鋏で枝を切るのも苦労するほどでした。 手を伸ばして届くほどにしたかったのですが、はたして来年は花を見られるでしょうか。やりすぎたかも。 とにかく寒い花の無い時分に、良い香りで長く咲いてくれる有難い花です。