投稿

4月, 2019の投稿を表示しています

平成31年 釜敷地蔵尊供養会を行いました

イメージ
平成31年4月8日(月曜日)
釜敷地蔵尊供養会を行いました。




比較的良いお天気に恵まれました。
遠方からも来ていただきました。




10時30分から地蔵堂で法要を始めます。
堂内は狭いので住職だけで、お参りの方は外で手を合わせて頂きます。




双盤念仏も入れて音で堂内の様子を知らせています。




法要が済めば、釜敷地蔵尊のことなどお話しします。




次に本堂内に移って、閻魔様、多羅観音様の回向を行い、また寺のことなどお話しします。







後は甘茶など飲んで頂きゆっくりと宝物を拝観していただきます。




宝物公開は当日午前10時より午後3時まで行っています。







午後からもいろんな方が訪れます。


平成31年4月8日身代釜敷地蔵尊を公開します

イメージ
平成31年4月8日(月曜日)
午前10時30分法要
釜敷地蔵尊供養会を行います。
当日、身代釜敷地蔵尊を堂内で間近で拝観できます。



身代釜敷地蔵尊の縁起書は有りません。織田信長公より賜ったと伝えています。
文政六年(1823)の閻魔像縁起には「獄中歩行之地蔵」と脇書があります。
何か物語が有ったのかも知れません。





また「この地蔵はよく喋る」「お告げをされる」との口伝があります。
口元を見るとお口を開けて何か話しかけておられるように見えます。





江戸時代にお札の版木が贈られ、お札を配って多くの信者のお参りがあったそうです。







身代釜敷地蔵尊は地獄で釜茹での責めにあっている亡者に代わり釜で茹でられ苦を受ける地蔵様です。
当寺と関係のある大雲院に石川五右衛門の墓があります。
これは五右衛門がが文禄3年(1594)に京三条河原で釜茹の処刑の前に大雲院で、貞安上人に引導を渡された縁によります。




当寺の地蔵堂は文禄4年に開創されています。



同じく文禄四年に秀次事件に連座して妻側室が三条河原で打ち首になった時、女房に貞安上人が引導を授けました。
高島屋南四条寺町貞安前之町の大雲院の故地から秀次の墓碑が近年発見されました。

貞安上人なら秀吉の勘気に触れた人物の供養をすることはあり得ます。



あまり見ない釜で茹でられている地蔵様は石川五右衛門の供養の為なのでしょうか。

平成31年4月8日多羅観音像を公開します

イメージ
平成31年4月8日(月曜日)
午前10時30分法要
釜敷地蔵尊供養会を行います。

当日、織田信長公より賜った多羅観音像(緑ターラ)を公開します。




当寺の多羅観音には縁起が有りません。

文政六年(1823)の閻魔像縁起に金銅観世音天竺佛座像と書かれているだけです。 明治24年には如意輪観音とされました。






しかし2年前関西大学大学院 東アジア文化研究科の索南卓瑪さんが来られ、多羅観音を見られてチベット仏教の緑ターラ像に間違いないと言われました。








当寺の多羅観音の特徴はその御顔です。
いかにも異国風で戦国時代外国との交易が盛んだった頃、日本にもたらされた仏像のように思います。




江戸時代は鎖国でこのような像は入ってこなかったでしょう。
拝観に来られた方もこの微笑んだお顔に魅了されます。






ネットの画像検索で「ターラ」「多羅菩薩」等検索すれば、多くの画像が見られますが、当寺の多羅観音のような御顔の多羅菩薩はまだ見ていません。

比較する像が無いので分かりませんが、近年に造られたターラ像の顔に比べるとかなり古い像ではないかと思います。








多羅菩薩は、観音菩薩がどんなにしても全ての生き物を救うことは出来ないと流した涙から生まれました。


平成31年4月8日焔魔法王自作霊像を公開します

イメージ
平成31年4月8日(月曜日)
午前10時30分法要
釜敷地蔵尊供養会を行います。

当日、織田信長公より賜った焔魔法王自作霊像を公開します。



当初、閻魔自作の像は当寺だけと考えていましたが、三重県伊賀上野市の常住寺にも同様の伝承を持つ閻魔像があり、しかも信長が当寺の閻魔像を手に入れたのは伊賀上野であったと記されています。





さらに近年大阪府堺市の正明寺にも同じ伝承を持つ閻魔像があることを知りました。

共通するのは松材で作られた小像ということです。






勝念寺閻魔像に付属して縁起が伝わっています。この中で尊恵は閻魔より松で自刻した真影を与えられ、その後、伊賀上野に向い閻魔像を安置して亡くなります。数百年後、織田信長が伊賀上野でこの閻魔像を手に入れます。





この伊賀上野に常住寺があり同じ伝承を持った「冥途蘇生記」が伝わります。
平家物語第六段「慈心坊」には無い「焔魔が松材にて真影を自刻」することなど一致します。






「松材で造られた閻魔像」という「冥途蘇生記」にも載っていないマイナーな伝承は伏見勝念寺、伊賀常住寺だけでなく大阪堺の正明寺にも伝わっています。

これは勝念寺の閻魔縁起が勝念寺で独自に創作されたものではなく、信長から閻魔像を賜った時すでに閻魔像に固有の伝承を伴った縁起が付属していたものと思われます




長年この閻魔像は何故彫像にあまり使われない松材で造られているのか疑問でしたが、正明寺の閻魔像台座裏書に「此御衣木者 炎王宮松