平成31年4月8日焔魔法王自作霊像を公開します


平成31年4月8日(月曜日)
午前10時30分法要
釜敷地蔵尊供養会を行います。

当日、織田信長公より賜った焔魔法王自作霊像を公開します。



当初、閻魔自作の像は当寺だけと考えていましたが、三重県伊賀上野市の常住寺にも同様の伝承を持つ閻魔像があり、しかも信長が当寺の閻魔像を手に入れたのは伊賀上野であったと記されています。

図録冥界の裁き閻魔様と地獄の世界より転載


図録冥界の裁き閻魔様と地獄の世界より転載


さらに近年大阪府堺市の正明寺にも同じ伝承を持つ閻魔像があることを知りました。

共通するのは松材で作られた小像ということです。



図録地獄絵ワンダーランドより転載



勝念寺閻魔像に付属して縁起が伝わっています。この中で尊恵は閻魔より松で自刻した真影を与えられ、その後、伊賀上野に向い閻魔像を安置して亡くなります。数百年後、織田信長が伊賀上野でこの閻魔像を手に入れます。

勝念寺蔵「焔魔法王尊像縁起」




この伊賀上野に常住寺があり同じ伝承を持った「冥途蘇生記」が伝わります。
平家物語第六段「慈心坊」には無い「焔魔が松材にて真影を自刻」することなど一致します。






「松材で造られた閻魔像」という「冥途蘇生記」にも載っていないマイナーな伝承は伏見勝念寺、伊賀常住寺だけでなく大阪堺の正明寺にも伝わっています。

これは勝念寺の閻魔縁起が勝念寺で独自に創作されたものではなく、信長から閻魔像を賜った時すでに閻魔像に固有の伝承を伴った縁起が付属していたものと思われます




長年この閻魔像は何故彫像にあまり使われない松材で造られているのか疑問でしたが、正明寺の閻魔像台座裏書に「此御衣木者 炎王宮松也」の文により判ったように思います。

要するに強調しているのは「松」ではなく「閻魔王宮に植えられている木」ということです。即ち閻魔像は「この世のものではない木で彫られている」ということです。







だから此の閻魔像は他の閻魔像とは異なり特別で貴いと言っているように思います。
当寺閻魔像縁起でも巻末に「本朝無双の尊像仰てもあほくへく貴てもたうとむへし極悪深重の衆生値遇の結縁をなし二世の悉事をいのり奉るへきもの也」と結んでいます。

勝念寺蔵「焔魔法王尊像縁起」



天正6年(1778)に信長の息子織田信雄は伊賀の土豪の手引きにより伊賀に足を踏み入れています。
天正7年(1579)に信長から開山貞安上人が伊賀の閻魔像を賜りました。
天正9年(1581)に天正伊賀の乱で信長は伊賀の寺院を悉く焼き払い僧侶数百人を切っています。この時常住寺も灰燼に帰しました。
天正10年(1582)本能寺の変

信長はどの時点で閻魔像を伊賀から手に入れたのでしょうか。




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