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令和元年10月20日お十夜法要を勤めました

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令和元年10月20日(日曜日)お十夜法要を勤めました


お天気が良く遠くからもお参りに来て頂きました。





お十夜の法要で当寺では、双盤を打って百万遍念仏数珠繰りを行っています。




昭和の初めまで双盤を打ち数珠繰りをする行事がありましたが戦争で途絶えました。




そして近年復活しました。




法要の後は真如堂で始められた十夜法要が浄土宗大本山鎌倉光明寺観誉祐崇上人によって浄土宗でも行われるようになったことをお話ししました。



境内は萩が刈り取られ、いま秋明菊が盛んに咲いています。




ショウキズイセンや琉球萩が終わりかけ、金木犀がまだ薫っています。

令和元年度浄土宗寺院大公開5

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10月5日(土曜日)6日(日曜日)勝念寺における令和元年京都浄土宗寺院特別大公開を無事終了しました。




比較的お天気に恵まれ多くの方に来て頂けました。


晴れると午後からは結構暑くなり、汗を拭いながら説明しました。



熱心なお方は質問もされ一生懸命聞いて頂けました。



今回は、織田信長公がいつ何処で閻魔像を手に入れたかについてお話ししました。


ただあまり詳しく説明しても興味のないお方には退屈で時間も取るので、熱心に質問などされるお方には資料などを出して説明しました。

多羅観音も特徴を示して造像年代をお話ししました。


今年もいろんなお方とご縁が出来ました。 寺の前は通っていても境内に入って来なかった方が、今回意を決して来られた方も居られます。


また毎回来て頂いている方も居られます。

令和元年度浄土宗寺院大公開4

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10月5日6日 午前10時より午後3時まで
京都浄土宗寺院特別大公開で織田信長公より賜る宝物を公開します。


浄土宗の勝念寺が何故チベット仏教の仏様を祀っているのでしょう。
それは開山貞安上人が大恩のある織田信長公より賜った仏様だからです。



信長公より賜った宝物は、閻魔像や多羅観音だけではありません。
古文書に閻魔像及び霊宝多品と書かれています。


当寺には門出八幡宮、阿弥陀如来、聖徳太子像、毘沙門天、二十五菩薩など信長公より賜ると伝わっています。


いよいよ明日・明後日、午前10時より午後3時までです。どうぞお越し下さい。








令和元年度浄土宗寺院大公開3

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10月5日(土曜日)6日(日曜日)  午前10時より午後3時まで
京都浄土宗寺院特別大公開で織田信長公より賜る多羅観音菩薩像を公開します。


当寺の多羅観音はチベット仏教で祀られる緑ターラという仏様です。


戦国時代 織田信長公より賜ったと伝える、日本ではほとんど無い珍しい仏様です。


関西大学大学院 索南卓瑪さんが論文『東アジア仏教における多羅信仰と文化交渉』 「第四節 京都勝念寺における多羅観音菩薩」(180p~190p)で勝念寺の多羅観音は中国の元の時代から明代初期(13世紀後半から14世紀)の造像と推定されると述べられました。
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=299&item_no=1&page_id=13&block_id=21


特徴はネパール芸術の影響を受けている。 1、小さく持ち運びに便利なため流伝が広い。


2、赤銅で宝石が嵌め込まれていて、金鍍金である。


3、関節の所は簡単に装飾し、衣装は体に張り付いている。




4、顔の形が逆三角形であり、豊満である。


勝念寺の多羅観音の特徴と同じです。








令和元年度浄土宗寺院大公開2

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10月5日(土曜日)6日(日曜日) 午前10時より午後3時まで
京都浄土宗寺院特別大公開で織田信長公より賜る閻魔法王自作霊像を公開します。
当寺の閻魔像は信長公より賜るまでは伊賀上野に安置されていました。



伊賀上野には天台宗の常住寺があります。ここのお寺にも慈心坊尊恵所縁の閻魔自作像があります。


伊賀上野の常住寺の閻魔像については 昭和女子大学 阿部美香先生の「唐招提寺蔵『伊州長田十王堂供由緒書』について」という論文に詳しく書かれています。
「唐招提寺蔵『伊州長田十王堂供由緒書』
https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=742&item_no=1&page_id=30&block_id=97
この論文によると、天正9年の伊賀の乱で常住寺は焼失しました。
慶長七年(1602)に「筒井定次が、亡母の三十三回忌にあたり、常住寺の伽藍を再興して、本尊たる十王像を彫刻し供養をおこなう。」とあります。




常住寺の閻魔像と勝念寺の閻魔像がどのような関係が有るのか今は分かりませんが今後の研究テーマです。

















令和元年度浄土宗寺院大公開1

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令和元年10月5日(土曜日)6日(日曜日) 午前10時より午後3時まで 京都浄土宗寺院特別大公開で織田信長公より賜る閻魔法王自作霊像を公開します。


勝念寺開山貞安上人は天正七年(1579)に安土で織田信長公から閻魔法王自作像を賜りました。


この閻魔像に付属する縁起によると、平清盛のころ慈心坊尊恵が閻魔法王から松材にて制作した自作像を賜り、伊賀上野に安置して亡くなりました。





数百年の後、信長公が伊賀からこの閻魔像を手に入れ貞安上人に授けました。




では何時、信長公はこの閻魔像を手に入れたのでしょうか。
鍵は天正年間に起こった「天正伊賀の乱」にあると思います。 信長の次男織田信雄は天正六年(1578)伊賀の土豪の手引きにより伊賀丸山城を修築しました。しかし反撃に合い敗退しました。翌天正七年に信雄は八千の兵を率いて伊賀に侵攻しましたが再び敗退しました。(第一次天正伊賀の乱)


天正九年(1581)信長公は再び信雄を総大将に五万の兵で伊賀の国を攻撃し制圧しました。多くの村や寺院が焼き払われました。(第二次天正伊賀の乱)
この戦乱の中で信長公は閻魔像を手に入れたのではないかと思われます。