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令和4年3月24日 二十四回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。

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  令和4年3月24日(木曜日)二十四回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。 暑さ寒さも彼岸までと言いますが寒い日が続きます。 まん延防止等重点措置が解除になりました。 しかしコロナの感染者がピークより少なくなってきましたが、まだ感染者は多いです。 ワクチンの3回目接種を進めており、医療提供体制は改善する見通しだそうです。 一方、新年度になると入学式や入社式があり、感染状況が再び悪化しかねないという懸念もあります。 この様なことがいつまで続くのでしょうか。 100年前世界中で猛威をふるったスペイン風邪は3年かかって終息しました。 まだ抗生物質やウイルスも発見されておらず、患者の隔離以外に方法が無い時代でも終息しました。 集団免疫で終息したのでしょうか。 その間、今の何倍もの感染者と死亡者の犠牲の上で終息しました。 しかし今は新しい株に対応するワクチンや治療薬も出来つつあります。 感染しても適切に治療出来るようになれば安心です。 もう少しの辛抱です。後しばらくマスク手洗いで頑張りましょう。

令和4年3月22日 彼岸会法要を執り行いました。

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  令和4年3月22日(火曜日)彼岸会法要を執り行いました。 今日は朝から生憎の雨、肌寒いお天気でお参りが少ないです。さらに檀家様が高齢化し今まで元気で来られていたお方が御歳でお参りに来れないという方が増えてきました。寂しいです。 さて法要の後は現在工事中の鎮守社について報告しました。詳しいことは完成してから鎮守社門出八幡宮のことをお話する予定です。 次に日想観についてお話ししました。 夕日を見て西方極楽浄土に思いを凝らすこと、寝ても覚めても、心から極楽浄土が消えることがないようにするのが、日想観です。 京都では真如堂のある吉田山(神楽岡)は夕日の名所として知られ、夕日を観て極楽を望む寺、極楽寺と名乗る寺は多いが、ここが正真正銘の極楽の霊地として真正極楽寺と名づけられました。 宗祖法然上人も此処の「紫雲石」に座り、夕陽を眺めながら「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えられ、その跡は大本山金戒光明寺が建っています。 大阪では四天王寺の西の門(極楽の門)が極楽への入り口として信仰されていました。 昔は四天王寺のすぐ下まで海が迫り、その西門は大阪湾にしずむ夕日を観て日想観を修する場所として知られていました。 この西門の外に大きな石の鳥居があり扁額には「釈迦如来転法輪処当極楽土東門中心」(此処が釈迦如来が説法する処で、まさに極楽の真東門である)と書かれています。 宗祖法然上人はここに参詣しお念仏を唱えて日想観を修せられました。その跡は法然上人二十五霊場の一つ一心寺になっています。 お彼岸は太陽が真東から昇り、真西に沈みます。その沈む夕日の向こう側に亡き御先祖様の居られる西方極楽浄土があります。 夕日を見て御先祖様を思い、感謝の気持ちでお寺参りやお墓参りをします。

令和4年3月1日「釜敷地蔵尊供養会」を今年も中止することに決めました。

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  令和4年3月1日(火曜日)例年4月8日に勤めている「釜敷地蔵尊供養会」を今年も中止することに決めました。 令和2年にコロナ流行のため止む無く中止しました。今年で3年連続の中止です。 御承知のようにオミクロン株が猛威を振るっています。 さらにステルスオミクロンが流行るかも知れない、第7波があるかも知れないと言われています。 4月の感染状況は分かりません。 それとは別に現在、境内整備の一環として本堂東側に鎮守社を造る工事をしています。 寺院の鎮守社とは寺や伽藍を守護する神様を祀るお堂です。 江戸時代以前はこうした鎮守社が多くの寺院で造られました。 しかし慶応四年・明治元年(1868)の神仏判然令(神仏分離令)により神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神社と寺院とを区別することを求められました。 その結果廃仏毀釈など起こりましたが、近年神社に僧侶が詣でたり寺院に神職を招いて法要を修することが行われています。 勝念寺には織田信長公より賜わると伝わる「門出八幡宮」が祀られています。 詳しいことは何れお話しますが、この鎮守社の工事が4月上旬から中旬までかかります。 このため狭い境内が散らかっており一般の方にお参り頂くことが出来ません。 依って今年も4月8日の「釜敷地蔵尊供養会」は住職のみで行い、一般の方の参拝は中止させて頂きます。 同時に行っている宝物の公開も中止させて頂きます。