投稿

5月, 2022の投稿を表示しています

令和4年5月28日 勝念寺のホームページに「鎮守社 門出八幡宮」のページを追加しました。

イメージ
 令和4年5月28日(土曜日)勝念寺のホームページに「鎮守社 門出八幡宮」のページを追加しました。 5月15日に門出八幡宮の御神霊を新しい社(やしろ)に移してより、連日色々な方が見に来られます。 門から赤い鳥居が目立ちます。 釜敷地蔵尊を素通りして赤い鳥居に一目散。 拝むでなし只見るだけ。写真を撮ったり物珍しそうに眺めておられます。 最初はこちらの方が戸惑いました。「門出八幡宮」を拝んで頂けるかなと思っていたのに。 しかし、これも御縁となって又いつか手を合せて頂けるだろうと思います。 もちろん一生懸命に拝んでおられるお方もおられます。 小さいお子さんの手を引いて若いお母さんが熱心にお参りです。 鳥居の所に立てている旗に「交通安全」と書かれているのを見てお子様の安全を祈られているのでしょう。 織田信長公より賜わる門出八幡宮の御神体は出陣の姿をされています。 それで昔は旅立ちの安全を祈願されました。お札も配っていました。 鳥居の傍には石の七福神を置いています。 七福神のにこやかな顔をみて笑って過ごせるように、ただし毘沙門様が居られませんが、毘沙門様は地蔵堂におられます。 お寺といえばお葬式とか暗いイメージがありますが、当寺では仏様や神様をお参りして勇気や元気を頂いて人生を前向きに生きていかれることを願っています。

令和4年5月24日 二十六回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。

イメージ
  令和4年5月24日(火曜日)二十六回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。 今年のゴールデンウイークは3年ぶりにコロナによる行動制限がなかったため各地の観光地では多くの人出があったそうです。 当地伏見でも5月5日に藤森神社で駈馬神事や神輿巡行があり5月15日には金札宮で巡行範囲を縮小して神輿巡行がありました。 祇園祭も3年ぶりに山鉾巡行が計画されているようです。 5月20日「屋外で会話をほとんど行わない場合、マスクを着用する必要はない」との政府見解が発表されました。 来月1日から入国者の上限を2万人に拡大すると発表しました。 東京や大阪などでは飲食店の入場制限の緩和や解除が行われました。 感染の急拡大期になく、医療提供体制に余裕があると判断し、社会経済活動の本格再開に向けてカジを切るそうです。 コロナの感染者が一時より少なくなりましたが、まだ多くの感染が発生しています。ただし重症化率は低いそうです。 今はコロナが終息に向かう過渡期かもしれません。 行政にせよ会社や個人でもこのコロナの微妙な時期にどうするか難しい決断を迫られると思います。 中止にせよ開催にせよ関係者の方々が悩んだ末の決断だと思います。 このコロナ渦が早く終息することを祈ります。

令和4年5月15日門出八幡宮の御神霊を新しい社にお移ししました。

イメージ
  令和4年5月15日(日曜日)門出八幡宮の御神霊を新しい社(やしろ)にお移ししました。 と言っても織田信長公より賜った御神体はそのまま本堂にお祀りし、前日に御分霊を御神鏡と新しい御神像にお移しして夜に人目を避け新しい社(やしろ)に御遷座頂き、本日早朝に新しい社(やしろ)の落慶と遷座の法要を行いました。 大きな朱色の鳥居が目立ちます。 現在ではお寺に鳥居は珍しいですが、江戸時代以前は多くの寺院で伽藍守護のために神様をお祀りする鎮守社が造られました。 当寺の開山貞安上人は織田信長・信忠父子の菩提を弔うため、大雲院を開創したとき、六条に祀られていた天神様をその鎮守社として祀られました。 京の度重なる大火でも類焼をまぬがれたことから「火除天満宮」と称されました。 その後、明治初期の神仏分離令により火除天満宮と大雲院が分かれ、大雲院は京都東山祇園南に移転するも火除天満宮はそのまま京都市下京区貞安前之町寺町通四条下ルに残りました。 また浄土宗総本山知恩院には「濡髪大明神」が祀られています。 これは江戸初期、知恩院第三十二世 霊巖上人の枕元に、濡れ姿で泣く童子が現れました。 この童子は御影堂が建設されたために住処をなくした白狐でした。霊巖上人は、童子のために寝ぐらを作ってやりました。 後日、再び枕辺に現れた童子は、お礼に知恩院を火災から守ることを誓い、上人は濡髪童子と名づけ、祠におまつりしました。 毎年11月25日に石の鳥居の前で護摩焚きの大祭を厳修されています。 このように寺院で神様を祀ることは珍しいことではありません。 当寺の「門出八幡宮」は開山貞安上人が安土で織田信長公より賜わると伝え、古くよりお祀りしてきました。 この度、多くのお方にお参りして頂くために境内に社(やしろ)を設けお祀りすることにしました。