令和4年5月15日門出八幡宮の御神霊を新しい社にお移ししました。

 令和4年5月15日(日曜日)門出八幡宮の御神霊を新しい社(やしろ)にお移ししました。




と言っても織田信長公より賜った御神体はそのまま本堂にお祀りし、前日に御分霊を御神鏡と新しい御神像にお移しして夜に人目を避け新しい社(やしろ)に御遷座頂き、本日早朝に新しい社(やしろ)の落慶と遷座の法要を行いました。




大きな朱色の鳥居が目立ちます。



現在ではお寺に鳥居は珍しいですが、江戸時代以前は多くの寺院で伽藍守護のために神様をお祀りする鎮守社が造られました。




当寺の開山貞安上人は織田信長・信忠父子の菩提を弔うため、大雲院を開創したとき、六条に祀られていた天神様をその鎮守社として祀られました。




京の度重なる大火でも類焼をまぬがれたことから「火除天満宮」と称されました。




その後、明治初期の神仏分離令により火除天満宮と大雲院が分かれ、大雲院は京都東山祇園南に移転するも火除天満宮はそのまま京都市下京区貞安前之町寺町通四条下ルに残りました。




また浄土宗総本山知恩院には「濡髪大明神」が祀られています。




これは江戸初期、知恩院第三十二世 霊巖上人の枕元に、濡れ姿で泣く童子が現れました。



この童子は御影堂が建設されたために住処をなくした白狐でした。霊巖上人は、童子のために寝ぐらを作ってやりました。




後日、再び枕辺に現れた童子は、お礼に知恩院を火災から守ることを誓い、上人は濡髪童子と名づけ、祠におまつりしました。




毎年11月25日に石の鳥居の前で護摩焚きの大祭を厳修されています。




このように寺院で神様を祀ることは珍しいことではありません。




当寺の「門出八幡宮」は開山貞安上人が安土で織田信長公より賜わると伝え、古くよりお祀りしてきました。




この度、多くのお方にお参りして頂くために境内に社(やしろ)を設けお祀りすることにしました。










このブログの人気の投稿

蝋梅が咲きました

令和5年9月16日 萩が咲き始めました「萩振る舞い」を始めます。

令和5年9月10日 の萩の様子