令和4年5月5日「門出八幡宮」について

 令和4年5月5日(木曜日)「門出八幡宮」について



勝念寺に祀られている「門出八幡宮」は甲冑を着け右手は刀印を結び左手に弓を持ちます。




八幡神が出陣の姿と見て門出八幡宮(かどではちまんぐう)と当寺では申し上げています。




八幡神は古来より仏法守護の神様であり、当寺では伽藍守護の鎮守様としてお祀りしています。



しかしこの像は体に対して御顔がやや右を向いています。また背中と長靴に虎の模様を現わします。




これについて長年気にかかっていたのですが、おそらくはこの像は薬師如来十二神将の一体ではないかと考えています。



これは単独でお祀りされる像ではなく、奈良の新薬師寺のように薬師如来を中心に周囲をぐるりと取り囲んで配置される十二神将像ではないか。その為、御顔が正面ではなく斜め右を向いている。



十二神将は薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、また十二の方角を守るといいます。



その為それぞれに干支の十二支が配当され、当寺の像の虎の模様は、寅の時刻、寅の月、寅の方角を守る『仏像図彙』に拠れば真達羅大将(しんだらたいしょう)ではないかと思われます。




ただし十二支の虎の模様に注目すれば真達羅大将、持物の矢に注目すれば波夷羅大将になります。





十二神将の像容と持ち物は教典により異なり最終的に仏師の意匠に依るそうです。



何故十二神将が八幡神になったかについては、八幡神は弓矢の神として源氏や平氏など武家から武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集めました。



当寺の像も甲冑をつけ弓を持っている姿、そして何より戦国武将である織田信長公より賜ったことから武神としての門出八幡神となったのではないかと思います。



文政六年(1823)の古文書にも「門出八幡宮」と載っています。また明治24年の鑑査状にも「門出八幡宮」と載っています。




御像はかなり痛んでいます。右腕の所や矢を持つ左手首の所も外れかかっています。




いずれにせよ永く門出八幡宮としてお祀りしてきた像です。これからも八幡様としてお寺を守っていただきますようにお祈りしていきます。












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