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令和3年5月24日十四回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。

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  令和3年5月24日(月曜日)十四回目の新型コロナウイルス感染症終息の祈願法要を勤めました。 早くも京都は梅雨に入り毎日鬱陶しいお天気が続いています。 まあ雨が降って湿気があればウイルスも飛び散らなくて良いかもしれません。 変異種が猛威を振るっています。さらに変異種にもイギリス型やインド型や他にも色々あって厄介だそうです。 一方ワクチンの接種が始まっています。住職にも接種券や予約開始のお知らせが届きました。 掛かり付けのお医者さんでしてしていただこうと思っています。 先生によると今は始まったばかりで混雑しているので来月予約して7月に接種の予定です。 変異種にもワクチンは効果があるそうです。住職は人に接するので打っておこうと思います。 ワクチンの予約や接種にも混乱があるそうです。始まったばかりでやってみなければ判らないことがあると思います。 ワクチンが普及すればある程度治まってくると思います。 ワクチン接種の進んでいるイギリスやアメリカでは規制緩和が進められているそうです。それで良いのか判りませんが。 時間的に余裕ができればワクチンの改良や治療の薬の開発など希望が見えてきます。 悲観的にならず前向きに考えたいものです。仏様は前向きに生きていくことを勧めておられます。

勝念寺ホームページ「元祖法然上人像」のページを再度訂正しました。

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  令和3年5月12日(水曜日) 勝念寺ホームページ「元祖法然上人像」のページを再度訂正しました。 「元祖大師霊像縁起」は崩し字のお手本のような字ですが、無学な住職が悪戦苦闘して読んでやっとネットに上げたところ、たちまち縁起を翻刻して頂いたお方や貴重な御教示がありましたので再度訂正いたします。 「元祖法然上人像」は当寺諦誉義禅和尚の師僧 専念寺十七世順阿隆円大和尚より授かったものと思い込んでいましたが、専念寺十八世法誉隆常上人(諦誉義禅上人の兄弟子)から授かったものでした。 さらにこの像を念持仏とされていた願生寺 超誉益雄上人の血縁者は隆円上人ではなく隆常上人でした。 「隆常」という字は分かっていたのですが「隆円」の間違いだと決めつけていました。 当寺の古文書には「順阿隆円」の名はよく見るのですが「法誉隆常」の名は見たことありませんでした。 さらに「華頂山主大僧正」(知恩院住職)と「門主大王」(知恩院宮門跡)が昔は別のお方と分かっていても一緒にしてしまいました。 また「開光」が「開眼」であることも教えて頂きました。 文政九年の専念寺と知恩院の手紙には再修補と書かれていますので順阿隆円上人の斡旋によって「華頂山主大僧正」に御像の開眼をお願いしたのかもしれません。 そして「門主大王」(知恩院宮門跡)に御高覧頂き御回願給わりました。 御像の裏に「為報恩奉修補」「元禄七年」と書かれています。元禄七年(1694)に補修したということは、元禄以前の御像かと思われます。 誠に思い込みというものは恐ろしいものです。真実を見る目をくらましてしまいます。 師僧 順阿隆円上人は当寺十四世諦誉義禅上人の勝念寺復興を援けまた助言をされて、当寺も多大な恩恵を給わりました。 順阿隆円、諦誉義禅お二方の勝念寺復興の事業は現住職にも継承されています。 そして師僧だけでなく、兄弟子 隆常上人にも祖先遺愛の霊像を授けられるなど諦誉義禅上人はよほど可愛がられたお方だったのでしょう。 貴重な御像ですのでこれからも大切にお守りしていきます。

勝念寺ホームページ「元祖法然上人像」のページを更新しました。

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  令和3年5月3日(月曜日) 勝念寺ホームページ「元祖法然上人像」のページを更新しました。 勝念寺には当寺第十四世諦誉義禅和尚の師僧 京都二条専念寺第十七世 順阿隆圓大和尚より文政九年(1826)に勝念寺に贈られた元祖法然上人像が伝わります。 順阿隆圓大和尚は江戸時代後期の学僧で、知恩院の役職を九年間勤められました。 従来この像が浄土宗総本山知恩院本尊の写しと言ってきましたが、これが間違いというか勘違いだと判明しました。 この像には知恩院大僧正や師僧 順阿隆圓上人の手紙と「元祖大師霊像縁起」が付属します。従来この文書が解読出来なかったために誤解が生じました。 この縁起によりますと、そもそもこの像は、大阪谷町願生寺 第八世超誉益雄上人の念持仏です。 超誉益雄上人は凡そ三百七十年前の人で、願生寺中興の大願をいだいて托鉢勧誡して万治年間(1658-1661)に壮麗な伽藍を建立して願生寺は大いに栄えました。 この超誉益雄上人の弟が順阿隆圓大和尚の曽祖父にあたり、超誉上人の形見としてこの像を譲り受け、曽祖父また祖父に与え祖父またその女恵明法尼に授けて、法尼臨末に順阿隆圓上人に授けました。 順阿隆圓大和尚は祖先遺愛の霊像を伏見勝念寺に奉納しました。 それに先立ち、この像は華頂山主大僧正(総本山知恩院門主)に拝謁念仏を賜りました。ここで誤解が生じました。 そして此の像の縁起と華頂山大僧正の手紙を付して順阿隆圓大和尚より勝念寺に授けられました。 順阿隆圓大和尚は元祖法然上人像を勝念寺に奉納するにあたり弟子諦誉義禅和尚に「この像を崇信してこれを奉事恭敬し奉り永く寺門に安置して其利益廣大無邊ならむことを願うのみ」と述べらています。 この元祖大師像は百萬遍知恩寺の本尊元祖大師像の御顔、数珠を繰る手、衣の裾の形などよく似ています。 百萬遍知恩寺の本尊元祖大師像を写したものと思われます。 まだ縁起や手紙を十分解読出来ていませんが、今の所ここまで解かってきました。