閻魔法王縁起の論文が発表されました
平成29年2月、昭和女子大学教授 関口静雄先生が論文「京伏見安養山勝念寺蔵『焔魔法王尊像縁起』翻刻と解題」を研究誌「学苑」に寄稿されました。
当寺には織田信長公より開山貞安上人に賜りました『焔魔法王自作霊像』が伝えられております。これに付属しまして『焔魔法王尊像縁起』が勝念寺に所蔵されています。
この縁起は天正七年(一五七九)に織田信長公より貞安上人が『焔魔法王自作霊像』を賜った時より付属していた源本を文政六年(一八二三)に再成されたものです。
関口教授はこの論文の中で、「勝念寺十四世隆阿義禅が師隆円の助力を得て文政六年(一八二三)七月に修補した『焔魔法王尊像縁起』は安永七年(一七七八)の火災で源本が罹災したので義禅が残簡や寺伝等をもとに再成し、それに什宝・歴代を付して一巻としたものと推量される。
なお『焔魔法王尊像縁起』は兵庫県宝塚市蓬莱山清澄寺の伝える『冥途蘇生記』を粗本として派生した別本・異本と称されるものの一つであるが、慈心坊尊恵が伊勢大神宮に参詣し、その帰途に伊賀上野で没したという他にない伝承を載せている。
この尊恵参宮伝承は常住寺蔵『冥途蘇生記』に記載はないが、同寺刊『閻王略縁起』や『伊水温故』に見え、また常住寺蔵『冥途蘇生記』と『焔魔法王尊像縁起』はその閻魔像がともに松材製一寸八分の小像とするなど共通し、両寺の閻魔像の縁起譚は伝承圏を同じくすると考えられる。
しかし伊賀上野にとどまった尊恵が「十王堂の聖」と衆庶に尊敬されたという『焔魔法王尊像縁起』の伝承は常住寺周辺資料に見えず、また勝念寺の閻魔像は慈悲相の立像であるが、常住寺のそれは忿怒相の座像であって、同一の伝承圏にあっても閻魔像各々に独自の縁起譚が存していたと知れる。
この縁起が難解で解読されず長年秘蔵されているのみであったものがようやく学会の俎上に上り、多くの研究者によって此れから解明されていくことを望みます。