令和5年4月8日に「釜敷地蔵尊供養会」を行います。(2)
令和5年4月8日(土曜日)に「釜敷地蔵尊供養会」を行います。(2)
身代釜敷地蔵尊について文政6年(1823)に書かれた焔魔法王尊像縁起には「俗ニ獄中歩行之地蔵ト云」と書かれています。
この縁起の論文を書かれた昭和女子大学教授 関口静雄教授はこの釜敷地蔵尊には何か物語があったものと思われる。
その物語が安永七年(1779)の火災により焼失して分からなくなってしまったのではないかと述べられていました。
釜の上に立っているお地蔵様は珍しいですが、愛知県愛西市根高の釜地蔵が有名です。
これは鉄釜の上に木蓋を置き、その上に安置された鋳鉄製のお地蔵様です。
釜之地蔵霊験記によると幼子が継母に釜で茹でられて殺されそうになった時、お地蔵様が身代りになって、釜の蓋を開けてみると鉄のお地蔵様が茹でられていた。
これを見た継母は改心をしたというお話です。
この鉄のお地蔵様が愛知県愛西市の釜地蔵寺に祀られています。
当寺の身代釜敷地蔵尊もこの様なお話が伝わっていたものと思われます。
ところでこの釜地蔵寺と織田信長公が生まれたという勝幡城址は1200mしか離れていません。
織田信長公より賜うと伝わる釜敷地蔵尊と釜地蔵尊が関係があるかも知れません。知らんけど!(笑)
言い伝えとしては先々代住職からよく聞かされたお話しがあります。
釜敷地蔵尊は良く出歩かれる。苦しんでいるものはいないか、困っているものはいないかと探しに出かけられる。
またこのお地蔵様はお告げをされる。知りたいことを一心に祈れば知らせて下さる。
口元を見れば何か喋りかけておられるように見えます。
住職の子供の頃にはよく聞かされました。
有難いお地蔵様です。