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5月24日 新型コロナ感染症早期終息の御祈願法要を勤めました

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令和2年5月24日(日曜日) 新型コロナ感染症早期終息の御祈願法要を勤めました。 先月に続き地蔵堂で身代釜敷地蔵尊に早期終息の御祈願を修しました。 皆さんの努力のおかげで21日、大阪、京都、兵庫の関西3府県に緊急事態宣言が解除されました。 しかしまだまだ油断は出来ません。自粛が解除されても平常に戻ったわけでなく感染の危険があります。 考えれば大昔から疫病で多くの命が奪われました。 今みたいに医学が発達せず、薬や治療も受けられない人々がすがるのは神仏でした。 祇園祭を始め疫病の終息を願う神事や仏事が人々の心の拠り所でした。 当寺の釜敷地蔵尊もその度に多くの方がお参りに来られました。 昨今も見知らぬ人が熱心にお祈りをしておられます。 また通りすがりの人が無事蛙の頭を撫でていかれます。 治まりかけた様に見えても完全な終息にはまだ時間がかかりそうです。油断は禁物です。

持蓮華発見

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新型コロナウイルスによる外出自粛でお檀家参りが少なくなったので、寺の書類など廻りを整理しています。 そこで新たな発見がありました。 当寺の閻魔法王尊像縁起(文政六年1823)に「持蓮華 圓光大師御所持貞安念持」と書かれています。 「持蓮華」とは柄香炉の形をした木製の執持物で仏様を拝むとき手に持つ法具です。 長年この持蓮華が見つかりませんでした。こちらが思っていた大きさと形状が違っていたからです。 たまたま明治三十三年の資材帳を見て、「持蓮華三尊仏」とあり、 三尊の大きさが木製御丈五分(約1、5cm)とあって直ぐに分かりました。 持蓮華は台座に挿してあり、抜いてみると下に穴が開いており、蓮の茎になっています。 全長は約11cm、 茎の太さは鉛筆の太さ、蕾は小指の先程です 。おそらく合掌して仏様を礼拝するとき手の間に挟んで拝むのでしょう。 長らく台座に挿したままの小さな三尊仏としか認識していませんでした。まさか持蓮華とは。 通常持蓮華は20~30cmほどの長さで、柄香炉の様に手に捧げ持つのですが、手に挟むとは思いませんでした。 似た物は浄土宗大本山増上寺塔頭の最勝院に「お江の方」の念持仏であった「持蓮華蕾中阿弥陀如来立像」があり、 蕾の中に高さ約5センチの阿弥陀如来立像が収められています。 これは実際に持蓮華として使用するものなのか、持蓮華様式の礼拝用の仏様なのか分かりません。 当寺の様な11cmほどの小さな持蓮華は時宗で使われるようで、 時宗二祖真教上人が小さな持蓮華を合掌した手に持たれた御像があります。 浄土宗でもこのような使い方をするのでしょうか、恥ずかしながら知りませんでした。 圓光大師(法然上人)御所持、開山貞安上人念持と約200年前の書物に書かれています。 まだまだ知らないことが一杯あります。幾つになっても勉強です。

新型感染症早期終息の御祈願法要を勤めました。

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南無釜敷地蔵大菩薩  疫病退散 哀愍護念 皆様の御安寧をお祈りいたします 令和2年4月24日(金曜日) 新型コロナウイルス感染症早期終息の御祈願法要を勤めました。 新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。 そこで毎月24日はお地蔵様の御縁日です。 その24日の御縁日に身代釜敷地蔵尊に新型コロナウイルス感染症の早期終息と感染により亡くなられた方々の追福菩提をお祈りすることにしました。 祈ることによってコロナウイルスの感染を直接止めることは出来ませんが、患者さんや感染症と直接闘っている医療従事者の方々、 又この様な状況下でも我々の生活を支えるために毎日働いておられる方々に心の力になればとの思いで勤めました。 身代釜敷地蔵尊は昔より戦争や災害疫病など世の中が大変な時に多くの方が祈りを捧げてきました。 今こそ住職が釜敷地蔵尊に祈りを捧げる時ではないかとの思いで早期終息の御祈願法要を勤めました。 出来れば新型コロナウイルス感染症の終息までお地蔵様の御縁日 毎月24日に勤めたいと思います。 なお感染拡大を防ぐため一般の方の参詣は御遠慮下さい。

令和2年度釜敷地蔵尊供養会を住職のみで勤めました

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この度の新型コロナウイルス感染症により亡くなられた方々に謹んでお悔み申し上げますと共に、 被患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 令和二年四月八日(水曜日) 釜敷地蔵尊供養会の法要を住職のみで勤めました。 コロナウイルスが猛威を振るっています。緊急事態宣言が出されました。 釜敷地蔵尊は昔より「身代り」即ち厄災を代わりに受ける地蔵様「厄災除け」を祈願されてきた仏様です。 また双盤を打ち称える百万遍念仏は昔京に疫病が流行った時、念仏をもって鎮まったことより始まっています。 住職が心を込めて感染症の早期終息を祈願させて頂きました。 宝物の公開は有りません。本堂の扉は閉じられています。 参拝者を呼び込む「のぼり幡」もなく、すっきりした境内です。 仏様をお参りに来るなとは言えないので、門は開けて自由にお地蔵様を地蔵堂の外から参拝できるようにしてあります。 寂しい法要ですが仕方が有りません。早く終息するよう祈念いたします。