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令和5年10月29日  十夜会法要を勤めました。

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 令和5年10月29日 (日曜日) 十夜会法要を勤めました。 当寺の十夜会法要は別時念仏として双盤を打ち百万遍念仏を称え数珠繰をしています。 コロナ渦で3年ほど数珠繰をしていません。今年は出来るかと思っていたのですが案内を作るときに、またコロナやインフルエンザが流行ってきたと報道があり断念しました。 どうしても参詣者はお年寄りが多く用心せねばなりません。 今年も導師が双盤を打ち百万遍念仏を称えました。 当寺では延享3年(1746)10月に鉄屋ナネが享保2年(1717)10月に当寺7世沢誉上人が双盤を四丁寄附されてより双盤を打ち数珠繰をする行事がありました。 共に十月と書かれており、十月のお十夜法要に双盤念仏称え てえていたのでしょう。 それが第二次大戦中に双盤を戦時供出してより途絶え、大念珠のみ伝わっています。 今回久しぶりに昔の大念珠をお披露目しました。箱の裏には天明八年(1788)当寺十二世報誉寄附と書かれています。 更に箱の横には尼講中(檀家さんの御婦人方)さらにその横に当寺第十四世諦譽義禅和尚の名が書かれています。 これらはおよそ200年から235年前のものです。実際何方が大念珠を寄付されたのか分かりません。 大数珠を何回廻したか数える算木も付いています。江戸時代から双盤を打ち数珠繰をする行事が行われていました。 法要の後は、お釈迦様は菩提樹の下で静かに瞑想をしてお悟りを開かれました。 我々もお釈迦様の様に座禅をして悟りを開くのが理想ですが、我々凡夫には大変困難なことです。 そこで仏様のお慈悲におすがりをして一旦極楽浄土に往生して、そこで修行して悟りを開く方法があります。 それが阿弥陀様のお慈悲にすがって南無阿弥陀仏の御名前を称えて極楽に往生してそれから仏になる方法です。 十夜会はこの念仏を中心とした法要です。このようなことをお話ししました。 境内はシュウメイギクや赤花芙蓉がまだ咲いています。 ところで7月に植えたインド菩提樹が一夏で驚異的に育ちました。 異常高温が熱帯植物のインド菩提樹には良かったのでしょうか。 あとは冬越しです。もう葉が黄色くなって元気が無くなっています。 十夜法要が終わってこれから本堂に取り込む予定ですが、こんなに大きくなればもったいないですが枝を切らねばなりません。 切った枝は水差しで冬を越す予定です。

令和5年10月8日 秋の宝物公開を無事終了しました。

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  令和5年10月8日(日曜日) 秋の宝物公開を無事終了しました。 10月7日・8日 令和五年度「京都浄土宗寺院特別大公開」に参加しての公開です。 今年はメールや電話で宝物の公開に関する問い合わせが多くありました。 多羅菩薩はいつ公開ですか、閻魔さんの御朱印は公開の日に書いてもらえますか、公開に事前申し込みは必要ですか、そしてアクセスなど、今迄問い合わせはありましたがこんなに多いのは初めてです。 これは多く来られるのかなと期待していました。結果去年より多く倍近くに増えました。 多羅菩薩にお参りしたい拝観したいという要望は年々増えてきています。 勝念寺が日本で唯一の古い緑多羅菩薩をお祀りしていることが知られてきました。 常時公開はしていないので日を限定しての宝物公開は欠かせなくなりました。 二十代から中年の女性の方が多いです。チベット仏教を理解して多羅菩薩を信仰されているかどうかは分かりません。 当方にチベット仏教のことを聞かれても分かりません。当寺は阿弥陀如来を本尊として南無阿弥陀仏と称名を称える宗派です。 開山貞安上人が織田信長公より賜った大切な仏様だからお守りしています。 また特に閻魔様をお参りしたいという方もおられます。大体関東の方が多いです。 勝念寺の閻魔様も閻魔様を信仰されている方には知られているようです。 関東には「閻魔参り」の風習があります。 関西では観音様やお地蔵様をお参りすることはあっても特に閻魔様をお参りする人は少ないです。 やはり関東は武家の気風があるのでしょうか。 今年も色んな方に来て頂きました。楽しい語らいが出来ました。御縁が出来ました感謝しています。 反省点があります。前から気になっているのですが、先に来た人に説明をしていると後から時間差で来られた方が取り残されることです。 先に来た人と一緒に聞いて頂ければ、後から来た人に初めから説明出来るのですが、どこかに行ってしまわれます。 説明を短くして、興味ありそうな人だけ詳しくと工夫はしているのですが中々上手く行きません。 ところで境内は萩が刈り取られサッパリした庭になりましたが、例年今頃咲いている黄色い彼岸花ショウキズイセンが一つも咲いていません。 ようやく数本花芽が出てきました。高温が関係しているのでしょうかこんなことは初めてです。

令和5年10月4日 令和5年度秋の宝物公開について(2)

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  令和5年10月4日(水曜日) 令和5年度秋の宝物公開について(2) 10月7日(土曜日)・8日(日曜日)共に午前10時より午後3時まで本堂で織田信長公より賜う宝物を公開します。 勝念寺にはチベット仏教の緑多羅菩薩(当寺では多羅観音として祀っています)がおられます。 織田信長公より賜わると伝えています。 文政6年(1823)に書かれた焔魔法王尊像縁起には​金銅像観世音 天竺佛座像と書かれています。 また明治24年(1891)の鑑査状には如意輪観音坐像 傳天竺作と​書かれています。 以前は不思議な顔姿をした仏様としか見ていませんでした。 しかし現住職になって如意輪観音では手の印相など疑問に思い、ネットで検索して当寺の金銅像観世音 天竺佛座像とそっくりなチベット仏教の緑多羅菩薩の画像を発見しました。 思っても見なかったチベット仏教の仏様です。さらにネットで調べてほぼ間違いなくチベットの仏様であろうということで勝念寺のHPに載せ、そして宝物公開にこの仏様を皆さんに観てもらったところ、研究者や実際にチベットに行かれチベット仏教に触れられた方、チベット仏教を信仰している方など色んな方が来られました。 その中、関西大学大学院 東アジア文化研究科・文化交渉学専攻 索南卓瑪 先生が来られ見て頂いたところ間違いなくチベット仏教の緑多羅菩薩であると言って頂きました。 いくつかの論文にも勝念寺の緑多羅菩薩を取り上げて頂きました。 ◎日本で多羅菩薩を祀っているのは勝念寺だけである。 ◎勝念寺の多羅菩薩像は中国の元時代から明代の初期(13世紀後半から14世紀)の多羅菩薩像に非常に類似している。 ◎従って戦国時代(16世紀)に勝念寺の多羅菩薩像が大陸から伝わった可能性はある。 と書いて頂きました。 これからはこの仏様がいつ何処で造られ、何処で祀られ、どの様な経緯で大陸から日本へ、そして織田信長公の手に届き、開山貞安上人に授けられたのか、興味は尽きません。 勝念寺の緑多羅菩薩(多羅観音)は結構人気があり、お参りさせてほしいという方がよく来られます。 しかし当寺のような小さな寺では管理が行き届かず常時公開は出来ません。 ぜひこの宝物公開の機会をお見逃しなく。