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多羅観音の造像年代が判明しました

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勝念寺の多羅観音菩薩の造像年代が判明しました。 関西大学大学院 東アジア文化研究科・文化交渉学専攻の索南卓瑪さんが 論文『東アジア仏教における多羅信仰と文化交渉』 「第八章 第四節 京都勝念寺における多羅観音菩薩」(180p~190p) ​ 此処から論文をダウンロード出来ます 勝念寺の多羅観音について10ページにわたって書いて頂きました。     この中で 勝念寺の多羅菩薩像は中国の元時代から明代の初期(13世紀後半から14世紀)の図像と非常に類似している。 即ち、元時代のチベット仏教芸術はネパール芸術が主流である。 特徴は、 1、仏像は一般的に小さく持ち運びに便利に造られているため流伝も広い。 2、制作の材料は赤胴で多種な宝石を嵌め込み、表面は金鍍金であるが、信者が触り鍍金や石が落ちる場合が多い。 3、衣襟や袖口、関節の所は簡単に装飾し、服装は完全に体に張り付いている。 4、顔の形も上が広く下が狭くなっていると同時に豊満でまろやかである。 織田信長より賜ったという伝は、その根拠となる文献や証拠が見つかっていない。 ただ文政六年(1823)の当寺の古文書に「金銅観世音 天竺佛座像」と書かれているため、その当時には存在した。 勝念寺の多羅菩薩像は造像年代(13世紀後半から14世紀)から推測して日本の戦国時代(16世紀)に伝わった可能性はある。 勝念寺の多羅観音菩薩が、いつ、何処で造られ、何処で祀られ、どの様な経緯で織田信長公の手に届き、開山貞安上人に授けられたのか長年不明でしたが、ここに関西大学大学院 索南卓瑪さんのお陰でおよそ700年前の造像であると判明しました。 勝念寺に付いては色んな方面で大学の先生や研究者に調べて頂いています。 小さなお寺ですが調べれば調べるほど奥の深い貴重なお寺だと思います。

平成31年 釜敷地蔵尊供養会を行いました

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平成31年4月8日(月曜日) 釜敷地蔵尊供養会を行いました。 比較的良いお天気に恵まれました。 遠方からも来ていただきました。 10時30分から地蔵堂で法要を始めます。 堂内は狭いので住職だけで、お参りの方は外で手を合わせて頂きます。 双盤念仏も入れて音で堂内の様子を知らせています。 法要が済めば、釜敷地蔵尊のことなどお話しします。 次に本堂内に移って、閻魔様、多羅観音様の回向を行い、また寺のことなどお話しします。 後は甘茶など飲んで頂きゆっくりと宝物を拝観していただきます。 宝物公開は当日午前10時より午後3時まで行っています。 午後からもいろんな方が訪れます。 先日地蔵堂の鰐口を取り換えて頂きました。 釜敷地蔵尊のお参りの方の浄財で大きな鰐口が新調されました。 これからお参りの方のお願いを大きな音でお地蔵様に届けてくれるでしょう。

平成31年4月8日身代釜敷地蔵尊を公開します

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平成31年4月8日(月曜日) 午前10時30分法要 釜敷地蔵尊供養会を行います。 当日、身代釜敷地蔵尊を堂内で間近で拝観できます。 身代釜敷地蔵尊の縁起書は有りません。織田信長公より賜ったと伝えています。 文政六年(1823)の閻魔像縁起には「獄中歩行之地蔵」と脇書があります。 何か物語が有ったのかも知れません。 また「この地蔵はよく喋る」「お告げをされる」との口伝があります。 口元を見るとお口を開けて何か話しかけておられるように見えます。 江戸時代にお札の版木が贈られ、お札を配って多くの信者のお参りがあったそうです。 身代釜敷地蔵尊は地獄で釜茹での責めにあっている亡者に代わり釜で茹でられ苦を受ける地蔵様です。 当寺と関係のある大雲院に石川五右衛門の墓があります。 これは五右衛門がが文禄3年(1594)に京三条河原で釜茹の処刑の前に大雲院で、貞安上人に引導を渡された縁によります。 当寺の地蔵堂は文禄4年に開創されています。 同じく文禄四年に秀次事件に連座して妻側室が三条河原で打ち首になった時、女房に貞安上人が引導を授けました。 高島屋南四条寺町貞安前之町の大雲院の故地から秀次の墓碑が近年発見されました。 貞安上人なら秀吉の勘気に触れた人物の供養をすることはあり得ます。 あまり見ない釜で茹でられている地蔵様は石川五右衛門の供養の為なのでしょうか。

平成31年4月8日多羅観音像を公開します

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平成31年4月8日(月曜日) 午前10時30分法要 釜敷地蔵尊供養会を行います。 当日、織田信長公より賜った多羅観音像(緑ターラ)を公開します。 当寺の多羅観音には縁起が有りません。 文政六年(1823)の閻魔像縁起に金銅観世音天竺佛座像と書かれているだけです。 明治24年には如意輪観音とされました。 しかし2年前関西大学大学院 東アジア文化研究科の索南卓瑪さんが来られ、多羅観音を見られてチベット仏教の緑ターラ像に間違いないと言われました。 当寺の多羅観音の特徴はその御顔です。 いかにも異国風で戦国時代外国との交易が盛んだった頃、日本にもたらされた仏像のように思います。 江戸時代は鎖国でこのような像は入ってこなかったでしょう。 拝観に来られた方もこの微笑んだお顔に魅了されます。 ネットの画像検索で「ターラ」「多羅菩薩」等検索すれば、多くの画像が見られますが、当寺の多羅観音のような御顔の多羅菩薩はまだ見ていません。 比較する像が無いので分かりませんが、近年に造られたターラ像の顔に比べるとかなり古い像ではないかと思います。 多羅菩薩は、観音菩薩がどんなにしても全ての生き物を救うことは出来ないと流した涙から生まれました。 観音の絶大な救済にすがっても叶わないことがあります。多羅菩薩は観音様の救済に漏れた衆生をも残らさず救う仏様です。 さらに伝統的仏教では、女性には五障があり、修行が適さないので、男性に生まれ変わって成仏するという思想がありました。 しかし、多羅菩薩は、女性の身体のままで、女性の善良と優さの心を持ったまま成仏するという誓願を発し、これを実現した女性尊とされます。 チベットでは特に女性に絶大に信仰され、女の子が生まれるとドルマ(ターラ菩薩)と名付けることも多いそうです。 多羅菩薩は八難救済を本誓とし、苦しむ衆生をいつでも救済に行けるように右足を前に出しています。 右手は与願印を結び、左手は親指と薬指を捻て蓮華の茎をつまんでいます。 頭に五智宝冠を戴き、胸の膨らみや身体と頭部をくの字にひねって、女性を強調しています。 これほど有難い仏...