令和5年8月24日 釜敷地蔵尊前にて地蔵盆の法要を行いました。
令和5年8月24日(木曜日)釜敷地蔵尊前にて地蔵盆の法要を行いました。
毎月24日は地蔵菩薩の縁日です。特に旧暦7月24日の縁日はお盆に近く「地蔵盆」と呼ばれます。
今は新暦月遅れの8月24日を地蔵盆としています。
関西ではかってこの地蔵盆は各町内で子供たちを中心に賑やかにおこなわれました。しかし今は少子高齢化で規模が縮小されたり取り止めになっています。
当寺の町内も石のお地蔵様を預かっています。他にも7体他の町内の地蔵様を預かっています。
勝念寺ではこの日早朝に住職のみで地蔵盆の法要を行いました。
以前にも書きましたが地蔵堂は土蔵造りで窓が小さく大変暑いです。10分も居ればサウナ状態です。
4月8日の「釜敷地蔵尊供養会」は堂内が狭く参詣者は外の参道に立ってもらいますが、真夏の今はそのようなことは出来ません。
日中は危険外出は避けろの状態です。それで住職一人で早朝に法要を行いました。
そもそも「釜敷地蔵尊供養会」を4月8日にしたのも真夏の暑さのためです。
本来インドではお地蔵様はその名の通り大地の神様です。大地は命を生み育てる力を蔵しています。
この命を生み育てるということを人間に当てはめるとお母さんです。そしてお母さんが一番大事なものは子供です。
それでお地蔵様は子供が大好きです。お地蔵様はお母様の心をもっています。
またお地蔵様はお釈迦様が亡くなられて次の仏様が現れるまでの無仏の間、苦しむ人たちを救う使命を持っています。
勝念寺の釜敷地蔵尊は奈良県大和郡山市の矢田寺の本尊地蔵菩薩がルーツではないかと思います。
矢田寺は今から1200年前、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心とされてきました。
矢田地蔵縁起には満米上人が閻魔王に菩薩戒を授け、この礼として地獄を案内された時、黙々と亡者に代わって地獄の苦しみを自らの身で受ける地蔵菩薩の姿を発見します。
地蔵菩薩は、「苦しみを持つ者・苦しみを恐れる者は我に縁を結びなさい、それにはわが姿を拝み、わが名を唱えるとよい、そうすれば必ず救われるであろう」と答えました。
満米上人は矢田寺に戻ると、早速この地蔵菩薩の姿を彫らせました。この尊像が矢田寺の本尊となりました。
勝念寺の釜敷地蔵尊は地獄で釜茹でになって苦しんでいる亡者に代わって自ら苦を受ける身代り地蔵尊です。
釜敷地蔵尊の御影にも「代重苦地蔵尊」と書かれています。この御姿は矢田寺のお地蔵様と相通ずるものがあります。