令和6年9月11日  令和六年度 秋の宝物公開をします。(多羅菩薩の謎)

 


令和6年9月11日(水曜日)令和六年度 秋の宝物公開をします。(多羅菩薩の謎)



本年10月5日(土曜日)~6日(日曜日)共に午前10時より午後3時まで

織田信長公より賜わる閻魔法王自作霊像及びチベット仏教の緑多羅菩薩(多羅観音)その他の宝物を公開します。


宝物公開で一番の人気は緑多羅菩薩(多羅観音)です。



多羅菩薩は女性の身体と心を持ったままで成仏するという誓願を発し、これを実現した女性尊とされます。

従って多くの多羅菩薩像は豊かな胸で表現されます。



それが当寺の多羅菩薩(多羅観音)の胸は小さいです。長年疑問に思っていました。



今年4月8日に釜敷地蔵尊供養会の時、チベット仏教に詳しい方が来られて、この疑問を言ったところ、これはツォンカパの宗教改革の影響ではないかと御教示頂きました。



チベット仏教はインド後期密教の流れを汲む教えが実践されています。



後期密教では「性秘儀(性的ヨーガ)」が行われており、これは性行為を伴う儀式によって解脱や救済を求めるものです。



これが民衆から僧の堕落と受け止められチベット仏教の信頼が損なわれました。




15世紀初めにチベット仏教の偉大な改革者ツォンカパ大師(1357ー1419)が現れ、性秘儀を禁止し大乗仏教の顕教を先ず習得した後に密教を学ぶ。また戒律を厳格にするなど大改革を行いました。



この影響で仏像なども殊更に性的特徴を強調することを避けました。



当寺の多羅菩薩の胸が小さいのもこの影響だろうということでした。



関西大学大学院の索南卓瑪先生が論文「東アジア仏教における多羅信仰と文化交渉」(186P)で勝念寺の多羅菩薩像を元代から明代初期の造像であるとされましたが、その時代はまさにツォンカパ大師(1357ー1419)が活躍された時代です。




索南卓瑪先生が当寺の多羅菩薩と比較された「図 72 元末明初 銅金鍍金緑多羅」の写真の像も胸が小さいというか無いです。



当寺の緑多羅菩薩像(多羅観音)はチベット仏教最大の学僧の影響を受けていた像だったと思われます。







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