令和7年8月24日 地蔵盆につき釜敷地蔵尊前にて法要を行いました。
令和7年8月24日(日曜日)地蔵盆につき釜敷地蔵尊前にて法要を行いました。
お地蔵様の縁日は毎月24日です。特に旧暦7月24日(新暦8月24日前後)はお盆の時期に当たり関西では「地蔵盆」と呼ばれお地蔵様を祀り子供たちを呼んで賑やかに行われます。
当寺でも数件の町内の石の地蔵様を預かっています。今日は地蔵盆でお地蔵さまは各町内に帰っておられます。
さて6月にテレビで当寺の釜敷地蔵尊を放映して頂きましたが、徐々に反響が広がっています。
8月21日突然にyahooニュースに載せたいのでと取材に来られました。
色々とお話しし夕方にはyahooの地域ニュースに載っていました。
結構詳しく載せていただきました。これもテレビの影響かな。
で、6月のテレビ撮影の前に局の人と釜敷地蔵尊にまつわるエピソードをお話ししました。
戦時中伏見深草に第16師団という軍隊がありました。戦地に向かう兵隊さんが一時寺院などに寄宿させられました。
その時、信楽焼の蛙の裏に名前を寄せ書きされ残していかれました。
無事帰るの願いからでしょう。職業軍人なれば死ぬ覚悟があったでしょうが、今まで商売や会社勤めをしていた人が突然召集令状で戦地に向かうとなれば家族や色々な思いで無事帰るの気持ちも理解出来ます。
戦時中は死んで帰ってこいという風潮の中、先々代住職は地蔵堂に祀って誰かに見られたら怒られると言って、自分の書斎で保管していました。
無事帰られた方は家族と共にお地蔵様にお礼参りに来られたと聞いています。
この様なことをディレクターに話したら、これは良い話だといわれたのですが話が長くなったのでカットされました。代わりにお札の話になりました。
当寺の境内に石の蛙がいるのも、「身代わり」地蔵のごろ合わせもありますが、この戦時中の話も念頭にあります。