令和7年10月5日(日曜日)令和七年度 秋の宝物公開が無事終わりました。
令和7年10月5日(日曜日)令和七年度 秋の宝物公開が無事終わりました。
10月4日・5日の二日間の土日に宝物の公開を行いました。
やはり本堂内にカメラを置くのは抵抗があったのですが、宝物公開という寺宝が置かれている所へ不特定多数の方が来られます。
昨今の御時世で仏像の盗難だけでなく仏像の破損いたずらもあり防犯カメラの設置もやむおえないかなと思います。
なお防犯カメラの設置は一時的で檀家さんの法事や彼岸やお盆の法要には設置していません。
昨日今日と生憎の雨模様、しかし思いの外多くの方に来て頂けました。
二日共朝10時本堂の戸を開けると5~6人の方がお待ちです。
今年はテレビを見ましたと言うお方が多く来られました。
そこで釜敷地蔵尊(かましきさん)の話で盛り上がりました。
釜を敷いている珍しい地蔵尊には縁起がありません。
釜敷地蔵尊が祀られている地蔵堂は文禄4年(1595)創立と記されています。
その前年文禄3年(1594) 盗賊石川五右衛門は、京都三条河原で釜煎りの刑にされました。
五右衛門が処刑の前に市中引回しの途中、貞安上人から引導を渡され大雲院に墓がありがあります。
当寺の釜敷地蔵尊は石川五右衛門の供養ではないかと思われます。
文禄4年(1595)関白豊臣秀次は秀吉から謀反を疑われ切腹させられ、秀次の妻妾など30余人が三条河原で打首となりました。
その時、貞安上人は地蔵尊を運び込み、次々と子女達に引導を授けました。
太閤秀吉の喚起に触れた人物の引導を渡すということは打ち首も覚悟しなければなりません。
貞安上人は大恩ある織田信長公の天下を乗っ取る形になった羽柴秀吉に対して思うところがあったのではないかと思います。
貞安上人は元和元年(1615)二条城で徳川家康に謁して殊遇を受けました。
二人は秀吉の悪口を言っていたのではないかと想像しています。
こんな話で盛り上がりました。
さて相変わらず多羅観音は人気があります。日本で最古のチベット仏教の緑多羅菩薩です。
異国の風貌で微笑んだようなお顔に魅了されます。
境内はもう萩が終わりです、雨で花が散りました。
門から入れないので去年と同じく駐車場から入って貰いました。
此れから萩の刈り取りをしなければならないと思うと気が重くなります。
結構重労働で老体に応えます。(笑)