慈悲相の閻魔像について


令和2年4月8日(水曜日)
釜敷地蔵尊供養会を勤めます。
10時30分より法要開始

当日は午前10時より午後3時まで
織田信長公より賜る宝物を公開します。

信長公が何故慈悲相の閻魔像を貞安上人に授けたかについて住職が少しだけ思いを述べます。



信長公は戦国の世を早く終わらせる為に「残虐な信長」を演じておられたのではないかと思います。



当寺の閻魔自作像は、他の閻魔像が怖い顔をしているのに対して優しい慈悲の相をしています。
これは閻魔の真の心は、仏の慈悲の心で亡者を裁いていることを表しています。



憤怒の相をされているのは、嘘をつく者を怖い顔で正しい方へ向かわせようとしているのです。



信長公は家臣や敵に対しては厳しい方ですが、身分にかかわらず相撲を取ったり庶民と気さくに話をするお方だったみたいです。
信長公記に『山中の猿御憐憫の事』という信長公の情け深さを物語る話も載っています。



信長公が慈悲相の閻魔像を贈ったのは秀吉・家康へと続く太平の道を切り開いた信長の真の心を分かって欲しいと懇意にしている貞安上人に送ったメッセージではないかと思います。



以上は記録や学問的根拠は有りません。住職の想像です。ムズムズしてきたので述べました。












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