令和4年10月5日 閻魔法王自作霊像を公開します

 

令和4年10月5日(水曜日)閻魔法王自作霊像を公開します。

令和4年10月8日(土曜日)・9日(日曜日)

 午前10時~午後3時まで




当寺には織田信長公より賜わる閻魔法王自作霊像が祀られており、詳細な縁起が付属します。



縁起によるとこの像は平清盛の頃、慈心坊尊恵が閻魔法王より自作像を授けられ、伊賀上野にて亡くなり、数百年の後織田信長が手に入れ、天正7年に当寺開山貞安上人に賜ったと書かれています。






伊賀上野に天台宗常住寺があります。そこには同じく慈心坊尊恵伝説を持つ閻魔像が祀られています。




この常住寺は天正6年から9年にかけて織田信長の伊賀攻め(天正伊賀の乱)で灰塵に帰しました。

これを再建したのが筒井定次で伽藍を再興し、本尊たる十王(閻魔像)を彫刻しました。



天正伊賀の乱について「伊乱記」や「伊賀旧考」によるとこの閻魔像を国司の仁木友梅(義視)が拝見を望み借り出したが返さないため賀衆が仁木を攻め伊賀から追い出した。それが天正五年5月のことあります。




さらに仁木友梅は甲賀に隠れ織田信長の扶持を得て伊賀の様子を注進したと書かれています。



そして伊賀の乱の時に、仁木友梅は織田軍に加わり伊賀を攻め討死をしました。



仁木友梅が織田信長に閻魔像を献上したという記述は有りませんが、伊賀の閻魔像と信長の接点が明らかになりました。

しかし仁木友梅が執拗に閻魔像を欲したのは何故でしょうか、当時戦国大名は珍しい茶器を追い求めました。



それを献上することも有りました。当時茶室に小さな仏像を祀るのではなく、飾るようなことが有ったのでしょうか。

詳しくは当寺HP「伊賀上野の閻魔像」を御覧ください。



当寺の閻魔法王像については調べれば調べるほど奥深い御像だと思います。








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