令和6年10月3日 令和六年度 秋の宝物公開をします。

 


10月5日(土曜日)~6日(日曜日)共に午前10時より午後3時まで

織田信長公より賜わる宝物を公開します。 



勝念寺第一の宝物は織田信長公より賜わる閻魔法王自作霊像です。




元禄九年(1696)に書かれた「蓮門精舎舊詞」の勝念寺の項に「天正七年織田信長公の命により貞安上人は安土浄厳院にて日蓮宗と宗論を行い(安土宗論)即ち勝利を得て御朱印並びに霊宝多品を賜る。その中に閻魔王像有り。長一寸八分 是摂津の清澄寺慈心坊尊恵が頓死し翌日蘇生 語云 我、閻魔宮に到り退去の時 閻魔王自ら此像を賜う、後に信長公御所持あって貞安に賜う」

と当寺の閻魔法王像について記述があります。





この閻魔像には詳細な縁起が付属します。



昭和女子大学教授 関口静雄先生が論文「京伏見安養山勝念寺蔵『焔魔法王尊像縁起』翻刻と解題」を発表されました。





この時関口教授は論文のゲラ刷りを送ってこられ、「この閻魔像は織田信長から天正七年に賜ったとあるが、信長の伊賀攻め(天正伊賀の乱)は天正九年であり矛盾する」と言われました。






この時、私住職は「必ずしも信長公が伊賀攻めで閻魔像を略奪したとは限らず、何らかの方法で手に入れた可能性もある」と答えました。





論文が発表された後、気になって文献を探したところありました。



伊賀の乱の様子を集めて著した「伊乱記」には「伊賀上野の常住寺の本尊 閻魔像は閻魔自刻の像で、慈心坊尊恵が百田氏の家に宿り、この閻魔像を百田氏に与えた。

閻魔像を国司の仁木友梅が拝見を望み借り出す。しかし、そのまま返さないため百田氏の配下が仁木を攻め伊賀から追い出した。それが天正五年五月のこと」とあります。



また「伊賀旧考」に「仁木友梅は常住寺の本尊閻魔王の像を貪り取ろうとするが敗退して甲賀に隠れた。織田信長の扶持を得て伊賀の様子を注進した。」と書かれています。さらに「天正九年九月伊賀の乱の時に、仁木友梅は織田軍に加わり伊賀を攻め討死をした」と書かれています。





仁木友梅が織田信長に閻魔像を献上したという記述は有りませんが、閻魔王の像を貪り取ろうとした仁木友梅と織田信長の接点が明らかになりました。





織田信長公が仁木友梅から閻魔像を天正五年以降に手に入れ、それを天正七年に賜った可能性があります。

住職の希望的妄想ですが。















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