令和6年10月4日 緊急告知 令和六年度 秋の宝物公開 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 10月 04, 2024 令和6年10月4日(金曜日) 緊急告知 令和六年度 秋の宝物公開10月5日・6日の公開当日は門からは入れません。左手駐車場からお入りください。正面本堂にて宝物の公開をします。今年は萩が咲くのが遅く刈り取りが出来ていません。門からは枝が邪魔して入れません。駐車場からお入りください。一部枝を刈り取りました。正面本堂にて宝物の公開をします。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
「サムハラ」の護符 - 2月 03, 2020 令和2年4月8日(水曜日) 釜敷地蔵尊供養会を勤めます。 10時30分より法要開始 「サムハラ」て知っていますか。 先々代住職によると第二次大戦中に、当寺では鉄砲の弾を身代りに受けて下さると「身代釜敷地蔵尊」の御札が出征兵士の家族に求められました。 そしてこの「サムハラ」の護符も「弾丸除けのお守り」として一緒に配っていたそうです。 サムハラの判子は知っていたのですが、何となく胡散臭くて無視していました。 しかし最近ネットで「サムハラ」を調べてみると研究書も出されて戦時中の「弾丸除け信仰」として面白いテーマになっているそうです。 この中、「サムハラ信仰についての研究 怪我除けから弾丸除けへの変容」渡邉 一弘著(国立歴史民俗博物館研究報告第174集2012年3月)を読んでみると、 「サムハラ信仰」は江戸時代からあったそうですが、 とくに盛んになったのが日中戦争の時で、あの仁丹の広告にも「仁丹御買上の有無を問はず敵弾除けの御守進呈」と「サムハラ」の護符が無料配布されたそうです。 戦時中の独特の雰囲気の中でこの「サムハラ」の護符が爆発的に千人針と共に多くの人たちに配られた様です。 当寺でこの「サムハラ」の護符が配られた経緯は分かりませんが、判子もゴム印ですし、正に戦時中の流れの中で急遽作られたものでしょう。 しかし歴史の一コマを現す物として大切に保存していきます。 続きを読む
令和7年9月18日 萩が咲き始めました「萩振る舞い」を始めます。 - 9月 18, 2025 令和7年9月18日(木曜日) 萩が咲き始めました「萩振る舞い」を始めます。 「萩振る舞い」は午前8時より午後4時までです。 早朝より8時まで、又は午後3時以降に水やりをします。 ご注意;「萩振る舞い」は「ペットの撮影禁止」になりました。 各方面から苦情があり、止むを得ず「ペット禁止」にします。 ご理解下さい。 やっと勝念寺の主な萩 赤花萩がチラホラ咲き出しました。 始めますと言っても門から見ればまだ緑一色です。 だから慌てて来なくても大丈夫です。まだ此れからです。 境内奥には深山萩が咲いています。 ここ数日朝夕涼しい日が続きました。 天気予報によると今後一週間は最高気温が30度前後、最低気温が20度前半。 さすがお彼岸です。寒さ暑さも彼岸までとはよく言ったものです。 萩は夏の暑さに耐えて涼しくなりかけて花が咲き出します。 やっと萩の花が咲く環境が整いました。 昨年は14日から一昨年は16日に「萩振る舞い」を始めました。 昔のブログを見てみると7年前平成30年(2018)はあまりの不作のため「萩振る舞い」の宣言やポスターも無しでただ門を開けておくだけでした。 夏の暑さと少雨による乾燥で枯れた萩もあり、枯れた萩は刈り取って閑散とした庭になりました。 カメラを持って来られた方もどこを撮ってよいか迷われるほどです。 例年は門から萩の枝を掻き分け掻き分けして通る道をスイスイ通れます。 当時の写真を今から見るとこれはこれで風情があって有りかなと思います。 ともかく萩が咲き始めました。これからどんどん花が咲いてくるでしょう。 咲き始めが遅いので今年も去年のように満開が10月にずれ込むかもしれません。 去年の10月の宝物公開は萩が咲いているので門から入れずに駐車場から入って貰いました。 続きを読む
令和七年度 秋の宝物公開をします。 - 9月 15, 2025 令和七年度 秋の宝物公開をします。 京都浄土宗寺院特別大公開(浄土宗京都教区教化団 主催)に参加しての公開です。 令和7年10月4日(土曜日)~ 5日(日曜日)共に午前10時より午後3時まで 当日は織田信長公より賜った宝物を公開します。 「かましきさん」の通称名をもつ釜敷地蔵尊(地蔵堂の外からの拝観になります) 開山貞安上人が安土宗論に参加し勝利を得て織田信長公から褒賞として賜った霊宝多品の内その代表とする閻魔法王自作霊像 近年チベット仏教の仏像とわかり俄に注目を集める多羅観音菩薩像(緑多羅菩薩) その他、門出八幡神像、聖徳太子像、貞観彫刻様阿弥陀如来、など織田信長公より賜ったと伝わる仏像を公開します。 住職が若い頃40年前には古い檀家さんへお参りに行って、お年寄りに「勝念寺に織田信長から貰った仏像がある」といっても信じて貰えませんでした。 勝念寺みたいな小さな寺が織田信長と関係があるはずがないということです。 どうすれば信じて貰えるか、いろいろ調べてネットに書き込んで、それを大学の研究者が見られて論文を書いて頂いたりしました。 それを元に京都市の駒札を立てて頂いたり、テレビで放送して頂いてようやく信じて頂けたかなというところです。 でも第二次大戦前には織田信長より賜る釜敷地蔵や閻魔法王など地域の書物に書いて頂いてそれなりに知られていたみたいです。 住職の子供の頃に年寄りから昔の勝念寺のことを聞かされていましたが、残念ながら戦後の地蔵堂は仏具を詰め込んで物置のようになっていました。 お墓参りの檀家さんも地蔵堂を素通りして行くのを見て再度昔の賑わいをということで頑張ってきました。 また昔の様に多くのお方にお参りに来て頂きたいと願っています。 この宝物公開もその一環です。 続きを読む