「ネットで大公開」(9)
令和2年10月23日(金曜日)
「ネットで大公開」(9)
閻魔像については、さらに「伊賀旧考」に興味深い記事を見つけました。
「仁木梅友(義視)は常住寺の本尊閻魔王の像を貪り取ろうとするが敗退して甲賀に隠れた。織田信長の扶持を得て伊賀の様子を注進した。」と書かれています。
さらに天正9年9月伊賀の乱の時に、仁木梅友(義視)は織田軍に加わり伊賀を攻め9月27日に討死をしました。
仁木梅友(義視)が織田信長に閻魔像を献上したという記述は有りませんが、閻魔王の像を貪り取ろうとした仁木梅友(義視)と織田信長の接点が明らかになりました。
しかし仁木梅友(義視)が執拗に閻魔像を欲したのは何故でしょうか、当時戦国大名は珍しい茶器を追い求めました。それを献上することも有りました。
当時茶室に小さな仏像を祀るのではなく、飾るようなことが有ったのでしょうか。
勝念寺の閻魔像縁起に「織田信長公が伊賀で閻魔像を手に入れそれを賜った」という些か唐突な書き振りは最初は半信半疑でしたが、
伊賀上野の常住寺に勝念寺の閻魔像と同じ縁起を持つ閻魔像がおられることを知って俄然興味が湧きました。
信長公はいつどのようにして伊賀から閻魔像を手に入れたかについて調べていくと、「天正伊賀の乱」「常住寺」「百田氏」「仁木氏」「織田信長」など幾つかのキーワードが線で繫がって出てきます。
今後はこれらを掘り下げて更に勉強していくつもりです。
次回は今年に新たに気づいた天明伏見義民柴屋伊兵衛のことについてお話しします。